現代語訳『三州奇談』 その6「玄門の巨仏」-上

現代語訳『三州奇談』 その6「玄門の巨佛」― 上


堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。これまでに

5話の現代語訳を紹介したが、今回はその6「玄門の巨佛」(巻之四)の現代語訳で

ある。

これは二つの話からなっており、原文ではこれを一話として続けて掲載しているが、ここでは上・下に分けて紹介する。



前の話(「伝燈の高麗犬」)に出てきた狛犬は、主である仏があってこそ、功を立てることができた。武士が手柄を挙げることができるのも、それと同じである。

神と仏は特に水と波のごとくであり、その霊験は別々のものではない。

慶長十九年(1614)、金沢から大坂冬の陣に前田利常が出陣した。急なことであったので馬を準備することがむずかしく与力三人につき一頭の馬しかあてがうことができなかった。

ここに俣野半蔵という与力がいた。今回の出陣は生きているうちには二度とないような大切な戦だと思ったので、何とか馬を手に入れて華々しい手柄を挙げたいものだと一筋に思っていたが、事情が事情なのでそれはできない相談だった。

仕方なくこの上は神仏にお祈りするしかないと、日ごろ信心していた卯辰山の観音院の観音さまに願をかけた。するとある日寺の近くに鞍を置いた馬が一頭置き去りになった板。半蔵は馬の持ち主を尋ね歩いたが見つからなかった。

そこで上役に連絡して、浅野川の橋の上に立札を立てて持ち主を待っていたが、七日たっても現れなかったので、藩の許しがでてその馬は半蔵のものとなった。

大坂の陣では、ほかの与力は代わるがわる馬に乗ったが、半蔵は終始馬上で戦い、存分に手柄を立てることができた。

戦い終わって金沢に帰る途中、近江路にさしかかったころ、いつの間にか

この馬の行方が分からなくなってしまった。

その翌年、半蔵は藩の命により伊勢神宮に代参した。その時神主が神馬を曳いて出迎えたのだが、その馬は戦いのとき乗った馬であったので、半蔵は驚いてそのことを神主に話した。

すると神主は、そんなこともあるのだな、去年の大坂の陣の間、この馬はいなくなり不思議なことに百日ほどして戻ってきたことがあったと話した。

これはまことに長谷寺と伊勢神宮双方の神仏によるご利益だったと知り、半蔵は感服して国に帰ったことである。



観音院とは、金沢卯辰山麓寺院群にある寺院で、藩主の信仰が厚い寺であった。作者は、俣野半蔵が大坂冬の陣で手柄をあげたのは、神仏の和光同塵(本地垂迹)によるものだとして神馬の不思議を語っている。

この話の後半は、同じ卯辰山麓寺院群の玄門寺の大仏にまつわる伝承である。

次回に紹介する。


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