熊の目撃情報と泥棒早見
新聞をよく読むと、変わった、見慣れない欄があることにぶつかることがある。
まず石川県の地方紙・北國新聞朝刊に「クマ目撃情報」なる欄が設けられていることに気付いた。たとえば、こんな風にである。
22日午後10時頃、小松市大野町の県道で、車を運転していた男性が 1棟を目撃した。23日午前8時頃には、おびし町の山林付近で女性が 親子とみられる2頭を、同日午後6時頃上荒屋町の県道では車で通りかかった男性が1頭をそれぞれ見つけた。 といった具合に3件の目撃情報を伝えている。
いずれの記事にも、〇〇警察署員や石川県猟友会〇〇支部が捜索していると続けている。石川県内各地の猟友会は大忙しだが、なかなかし止めるまでは至らないようだ。 人
近くで、あるいは町中でさえも、しばしばクマが目撃される時代である。 数年前には金沢城の中で捕獲されたクマがいた。どの地区に、いつ出たかを報道すれば、付近の人への注意喚起になるのだろう。
「クマ目撃情報」欄は、さすがに毎日はないが、10日に一度以上はある。ほかの地方紙でも、こんなクマ情報があるのかも知れない。
父母が生きた大正・昭和の時代には、山中でもめったにクマに出合うことがなかった。今の新聞を読んでこんな欄をみれば、驚くに違いない。
一方昔の新聞(明治時代)には、不思議な欄があったようだ。漱石の三四郎を読んでいたら、昨今の新聞には「泥棒早見」と云ふ欄があって、どこへどんな泥棒が入ったか、ひと目に分る様に泥棒が固まっている。こんなことが書いてあり、この欄があるので至極便利であるとしている。 当時はそれほど泥棒が多かったと思われ。そうでなくてはく「泥棒早見」欄は成立しない。だが、これは漱石の創作である可能性がないではないが、事実かどうかは当時の新聞を確認すればわかることだ。
明治の人は平成のクマのニュースを見ると、反対に平成の人は明治の泥棒早見をみると、互いに眉唾物であるといって、熊欄と泥棒欄の争いになるやもしれぬ。
このように漱石の「三四郎」を青春小説としてよむとともに、「明治の社会小説」としてチェックすれば、「泥棒早見」の欄のような不思議なものが、まだ見つかるかもしれない。
「三四郎」は三四郎と美禰子の恋の行方のはざまに、このような研究材料がごろごろしているー
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