『三州奇談』の編著・堀麦水のある横顔
『三州奇談』の作者、堀麦水(1718~1783)は、
金沢・竪町の蔵宿の二男坊として生まれた。
どんな男だったかー
俳諧師・実録作者として活躍し、全国を歩いた。
次男坊の気安さがあったと思うが、京坂・江戸にとどまらず、
なんと、遠く長崎にまで足を伸ばしている。
ところで史料によると、安永八年(1779)十代の加賀藩主・前田重教から医師として、
十人扶持で召出されている。
じつは麦水は、長崎でならった将棋をもとに、南京将棋を考え出した。
それを藩主が気に入ったが、俳諧師の身分では手元に召出すことができず、
それならと医師並の待遇をあたえたのだ。
長崎流寓により覚えた将棋が役に立ったのだ。
まさに「芸は身を助く」である。
当時としては自由で知的な人生だった。
巻之三に「高雄の隠鬼」がある。全編に、火の玉・魔魅・鬼燐が溢れた話である。
有名な加賀一向一揆軍が富樫政親を打ち破った戦いの舞台・高尾の話だ。
この話は別の機会にとりあげるが、ここに奥田宗傳の名の医師が登場してくる。
あるとき宗傳が狐狸に化かされた一件のことである。
時分が騙された話を宗傳自身が気に入って、人が集まると必ず、一つ話として語ったとい
う。「高雄の隠鬼」で麦水がとりあげているが、聞書きではないようである。
これは医師としてのつながりから、麦水がどこかで直接、宗傳から聞いた可能性が高い。
奇談を読み進み、『加賀藩史料』を参照すると、そう判断しても間違いはないようだ。
149話の一編読み切りのかたちをとってはいるが、読み進むとこのように、関連性がみえてくる。
こんな多才な麦水が書いた奇談は、対象が広範にわたり、キーワードを探す愉しみがあり、
ちょっと垢抜けしている。
下の『三州奇談』・石川県図書館協会本は絶版。「日本の古本屋」で1万円前後で出ることがある。
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