はやわかり『三州奇談』

このページでは、ほとんどが『三州奇談』について語ることになるだろう。

今回は全体のイメージを理解していただくためのものである。


『三州奇談』は、その名のとおり奇談・奇聞集であるので、狐狸や天狗などの妖怪、魔所が登場し、それをとおして地域の伝承・伝説が語られる。これに歴史上の事件・出来事が組みこまれていることが多い。

 特筆してよいのは、ほとんどすべての話に、地名と年号が記されていることである。この特定された地域と年代によって、奇談を歴史面から研究することが可能となったといえる。

『三州奇談』には、もととなる種本があったとされるが、それを増補したのが麦水だと理解してよかろう。『三州奇談』の内容は、荒唐無稽のことと思われるが、それは麦水自身のねつ造ではなく、そうした奇説怪談が民間にあったのを採集したことに、本書の価値と存在の理由がある(日置謙)と評されている。ここからは、近世知識人として麦水がみた世界、すなわち近世の人々がなにをみて、どのように考えていたかを読みとることができる。また、当時の人々が妖怪の出現をどのようにみて、感じとり、解釈していたかも類推できる。

 編著・堀麦水についてである。その業績・才能について、『石川県史』の「国学」には、「宝暦・明和を中心として堀麦水あり。奇才縦横行く所として可ならざるはなく(略)蓋し加賀藩に於けるこの種の作者中前後にその比を見ること能はず」とある。同書の「俳諧」でも、千代女との比較で、「世人の評価以上に手腕を有したるは樗庵麦水なり」として、麦水の多才・多芸を絶賛している。麦水はなかでも『三州奇談』で、その「奇才縦横」ぶりを十二分に発揮したということができる。

 麦水が仕込んだ、この虚実をどうとらえてゆくのか、これは近世史の世界へ誘う隠れた入口のひとつといえる。一話読み切りであるぼで、どの話からでも入りこめる。原文と合わせ読めばさらに理解が深まる。 

 ここには、加賀藩の各地域の奇談がでてくる。年配の人々には、子供のころ遠足や鮒釣りを楽しんだ場所の昔が、そこにはある。昭和三十年代を中心に、その風景は大きく変わった。それ以前の姿を知らない人には、理解しづらい話があるかと思う。この意味で、あとに続く人々のために、『三州奇談』の研究の一助になるものを残したい。

『三州奇談』の一四九話は、筆者にとって「無尽蔵の宝庫」に思え、これからも読み解く作業を続けてゆきたい。ただ個人の力には限界がある。

 郷土の歴史伝承文化を研究する際の、あらたな視点を求めるテキストとして、歴史学・文学・民俗学などのジャンルを問わず、『三州奇談』が広く深く読まれることを期待する。

 これは加賀・能登・越中の奇談集だが、全国各地に奇談は残っている。そこには、意外と手つかずの史料や文献があるに違いない。『三州奇談』は現在、文学の分野以外の研究者が見当たらないようである。奇談には、限りない世界が広がっている。

次回以降は『三州奇談』の個別の各話の読み方を中心に、関連分野のことにもふれてゆきたい。

下の地図は、加賀藩時代の加賀・能登・越中図である。

0コメント

  • 1000 / 1000