イリアスと漱石

世界最古の叙事詩『イリアス』を漱石はどのように読んだか。
漱石は、犬も飼っていた。犬の名は「ヘクト―(ヘクトル)」、
『イリアス』からとっている。



「イリアスと漱石」

                        夏目坂迷亭

 明治33年夏目漱石はイギリスに留学し英文学を学んだが、その際「イリアス」を読んでいる。漱石は日本人として最も早い時期にイリアスを眼にした一人であるが、英文学者にして小説家である漱石がどのような視点で、最古の叙事詩を捉えたのであろうか。
 明治時代の日本はしゃにむに西洋化を推進したが、イギリスはその西洋の中心であり、その西洋の歴史はギリシアの歴史であるということができる。漱石はイギリスにおいてギリシア文化に接触した。ギリシア関係の記述は、「文学論」、「文学評論」、また「小説・小品」、さらには「講演・評論」などにしばしば登場している。

 はじめに、漱石のギリシア観をみよう。野上弥生子著「伝説の時代」序で、「私は英文学出身のものですから(中略)欧州文学の根底に横たわる二つの宝庫、聖書と希臘神話をいつか機会を見て思うまま熟覧しておきたいという希望を抱いていました」と述べ、ギリシア文明の重さ、大きさを強調している。
 ところで、漱石が読んだイリアスの原本は何であったかを、はじめに押さえておきたい。「文学評論」によるとイギリスの詩人アレキサンダー・ポープが1720年に「イリヤッド」を英語に翻訳したこと、これによって大金を手にして、一生安楽に暮らすことができたとのエピソードを紹介しており、これにより当時のイリアス人気をうかがうことができる。漱石は18世紀の英文学が専門で、ポープに関しては、その「文学評論」において一章を立てて詳しく評論しており、このポープの英語翻訳版をもとにしている可能性が高い。
 漱石がどのようにイリアスの主題をとらえていたかは、最も興味あるところである。「これ人の知る如くポープの英訳イリアッド巻頭の一句なり。最初より詩神に呼びかけてアキレスの憤怒を歌はんと欲するものにして、即ち此詩24巻を貫く大眼目は全く此英雄の怒にあることを広告したるに外ならず。万古不易と称せられたるイリアッドは怒の筋を以て成立すと云ふて不可なきなり」
 漱石はあたかもトロイア戦争をめぐる伝承を知悉していた古代ギリシア人同様に、この物語の主題を「怒」であると、断定している。 

 物語中の記述を取りあげているからところがあるので、そこから一・二とりあげてみよう。漱石は「文学論」の中の「誇大法」という項目で、5巻・ディオメデスに刺されたアレスがあげた悲鳴を取りあげている。「神なれば9千人前の大音声も1万人分の怒号もただ創造し得るの便宜多き叙法を真とする外はあるべからず(中略)誇大にしたるが為め描写に生命を賦し得たりとせばー」と肯定的である。このあたりは「文学論」という研究上の分析とはいえ、すこし重すぎる感があり、これは時代的なものだと感じる。
 次に、8巻。戦闘2日目、ゼウスはオリュンポスで会議を催し神々に戦への介入を禁じたあと、馬に乗り一気にイデ山の頂に至り人間世界を見物するくだりである。ここでは漱石は超自然・神について論じている。
 「面白く出来てゐる。滑稽と思ふのは悪い。神は神で明らかな神である。自然を借りなければ万事行動の出来ぬ神である。人間が霊に近づいて神になったと云はんよりは、神が退化して人間になったと評する方が妥当である。人間が神と兄弟分であるかの如き感がある」。
 続いて、神でも幽霊でも何でも建立して不思議にして好いが、遂に神秘にはならず、荘厳、畏怖の感を起こすべき筈なのに、それがかえって滑稽の念になってしまうことがしばしばある、と一般論を述べる。しかし、ここは滑稽ではなく、別世界のことだけに絞っているので、最後までを人をつり込んでおける、アキレウスもゼウスも上代のことなので彼らは等しく地上に顔を出したことがなく、だから比較的成功していると分析している。神が退化して、とは漱石らしいユニークな表現である。

「神は不死」であり絶対的な存在で「人間は死すべきもの」、これが原則ではあるが、「イリアス」の神には、すこし様子が違う面がある。この叙事詩の世界では、神と人間との距離がきわめて近く、人間は神に対し「畏怖」の念というより「驚嘆」の念をもって接する。また神といえどもすべては思いのままにはならず限界があり、つまり人間にもある部分主体性があるのである。人は悲惨であっても、神になろうとは決して考えず懸命に生きる。
「イリアス」の神は無慈悲であり、かつ喜劇的でさえある。神々は物語の大事な局面で微妙な、しかも決定的な働きをするのである。このような神と人の関係が「イリアス」では極めて重要ポイントとなり、2,800年間人々をひきつけてきた。
 「イリアス」にはゼウスをはじめいろいろな神々が登場するが、ゼウスといえども絶対的な存在ではない。ヘレやアテネに反抗され手を焼くシーンがしばしば出てくる。これは神々の世界には、征服民族と非征服民族にかかわる歴史が内包されているとの論考があり、反抗や抗争はそのあらわれによるものなのである。
「或る神々はかつての王や英雄が、人類に対する貢献の故に神格に昇ったものであるという考えは、ヘロドトスにまで遡る」(「聖と俗」)との考察があり、ギリシア神話の歴史的起源を探る研究の歴史は古い。その根幹にあるのが「イリアス」であり、「暗黒時代」をつなぐ架け橋といわれる所以である。

 漱石が「イリアス」を偉大な物語として扱っていることは間違いない。「其イリアッドが矢張り現代の人に読み得る所、読んで面白い所、拍案の慨がある所、浪漫的な所、が少なくはなからうと思ふ」。
 この記述からは、22巻のアキレウスとヘクトルの一騎打ち、6巻のヘクトルとアンドロマケの別れのシーン、9巻の竪琴を弾じ武士を歌うアキレウスの崇高さ、16巻のパトロクレイア、さらに最後のプリアモスとの和解の場などが浮かんでくる。漱石は折に触れて、緩急と硬軟を織り交ぜたこの物語を思いおこし、数々の著作の中にその足跡をのこしたのである。
 漱石といえば「猫」であるが「犬」を飼ったこともあり、小品「硝子戸の中」には、こんなくだりがある。子供たちに犬の名前をつけてくれと頼まれた漱石は、「とうとうヘクトーという偉い名を、この子供たちの朋友に与えた。それはイリアッドに出てくるトロイ一の勇将の名前であった」。                                
                               

参考文献
ホメロス『イリアス』上・下  松平千秋訳 岩波書店 1902
『「イーリアス」ギリシア英雄叙事詩の世界』 川島重成 岩波書店 1991
『夏目漱石全集』岩波書店 1993
『聖と俗』ミルチャ・エリアーデ 法政大学出版局 1969 

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