奇談の犬たち「家狗の霊妙」(『三州奇談』)

  その1 話のあらすじ


 堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加賀・能登・越中の奇談集である。

  今回はそこから、「家狗の霊妙」(巻之四)を6回にわたって読んでゆきたい。「家狗の霊妙」は、人に飼われている犬の行動の不思議についての伝承である。 

 人との長い歴史を共有する犬は、猟犬・牧畜犬・番犬、さらには愛玩犬として、共に暮らしてきた。そのためほかの動物に比べて伝承の数も多い。

 「家狗の霊妙」は、犬が霊力を発揮する話を集めたものである。人間のそばにいた犬はその嗅覚や聴覚になどによって、人間にはわからないことを知る能力を持っている動物とされる。犬はこの霊力により、人間にはない力をもっていた。また犬は魔界のものを撃退する力をもっており、人の世と異界とを往来する動物の一つでもあった。

 犬は身近にいたので、人間は犬の行動の不思議を実際に見て、活体験する機会が多かった。ここには単なる猟犬・番犬としてではなく、犬の霊妙、つまり人知では計り知れない、犬の不思議な行動が語られている。

  まずこの話のあらすじである。

  ①浅野川に近い茶臼山の麓に、成瀬氏の家士・田原喜兵衛が住んでいた。家の前で白犬が子を産んだので、それを育てた。ある夜、妻の夢のなかで白い着物を着た人がきて、「うしろの山ががけ崩れとなり、ここには泥水がくる、早く立ち退け。私は御恩を受けたので知らせに来た」、このようにはっきりいった。

  不思議に思っていたところへ、夫の喜兵衛が成瀬屋敷から帰ってきて「この犬は屋敷へ来たことがないのに、屋敷の前に来て吠え裾を引っ張るので、急いで帰ってきた」という。妻は驚いて、夢のお告げのことを話し、夫婦ともに元禄12年(1699)12月22日に家を立ち退いた。

  翌23日の朝六時頃、茶臼山が崩れて浅野川を堰き止め、隣りの塚本左内の家など八五軒が下敷きとなり、亡くなった者は男女三十余人いた。この水により材木町まで泥水で浸かり、復旧工事は翌年春までかかった。

  

②享保(1741~43)の末、近江町の長兵衛という京通いの者が、夜中に加賀の真ん中を流れる大河・手取川の粟生の河原を通ったところ、白犬がまつわりついてきた。喉に大きな骨が刺さっていたので抜きとってやると、犬はよろこんで寺井までついてきた。その後、長兵衛が粟生を通るときは昼夜を問わずこの犬があらわれ、河原を一緒に歩いたものだと長兵衛は話していた。

  

③寛永(1624~43)の頃、田町の中村長太郎という男が、黒犬を飼っていた。力も知恵もあり、狐狸の類を多く捕えていた。また書状をいれた小箱を首に結んで友人のところへやると、必ず返書をもち帰った。ある時町へ狼がきて子供を傷つけたので人々はたいそう恐れた。そうした時、この黒犬が狼と一晩中噛みあって何匹かの狼を殺したが、最後には数十匹の狼に取り巻かれ死んでしまった。  ④寛文の頃(1661~72)利常が猟のため唐犬を飼っていたが、並はずれた力があった。犬引きがもてあまし、人にけがをさせたこともあった。ある日、大豆田河原で、この犬が綱を切り駈けだし、近くの人は逃げまどった。犬は狂ったように暴れ、増泉の方に逃げていった。

  そこには二歳ほどの子供がいたが、笑って起き上がりこの唐犬に手を出すと、犬は尾を振ってこの子の横に座った。子供の父母は、驚いたのちほっとした。生れて百日以内の子供がいると、泥棒も家に入ることができないと聞いていたが、大乗寺の月舟和尚に尋ねると、これは禅機の第一義、悉有仏性如来心であると教えられたという。


 「家狗の霊妙」は、今みてきたように犬が霊力を発揮する不思議な話を集めたものである。四つの話はそれぞれタイプの異なる不思議な内容をもっている。次回からそれを順に読んでゆきたい。  

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