城跡のその後

前回の城の話の続きである。金沢で行われた滋賀県立大学の中井均氏の講座と巡検によるものである。


 日本列島全域に分布する城館跡は3万から4万といわれる。城は人々の身近にある、親しまれる歴史遺産である。今回は私が興味を持った話をいくつか紹介して行くことにする。 維新後、明治6年「廃城令」が出され、存続39、廃城144が決定した。多くの城がこの時消えた。 


その城跡はどうなったか。

①官庁(高知城、松江城、福井城)、

②学校(彦根城、鳥取城)、

③軍隊(金沢城、姫路城、大坂城)、

④公園(高岡城)、

⑤離宮(二条城、名古屋城)などである。


金沢城はのち大学となった。 戦前における天守閣の復元、復興→岐阜城は明治43年に模擬復元(図面、写真などがない)。昭和6年の大阪城天守閣も同様。同城は建設後86年経ち国登録文化財となっている。模擬でコンクリートでも年月が経つと一定の価値が認められる。


 戦争による焼失→名古屋城、和歌山城など。 戦後の城跡の復元、復興→戦後復興の象徴として昭和33年に和歌山城、広島城、34年に大垣城、名古屋城など。この時代には次々と城が復元された。


 存在しない天守閣の建設→天守閣復元の流れのなかで、かつて存在しなかった天守閣もつくられた。昭和29年富山城、岸和田城、昭和31年岐阜城、他に今治城、長浜城がある。 

金沢は江戸初期3度ほど天守閣が焼け、その後幕末まで建設しなかったが、昭和30年前後各地に天守閣が復元されたときには、天守閣建築の話は地元新聞紙上に出ていたと思う。  


思えば凄まじい勢いで城の復元、復興の動きがあったことがわかるが、戦後の日本の復興と歩調を合わせているのである。存在しなかった天守閣をつくるなどの動きがあったが、時の勢いといえるもので責めることはできない。 

 名古屋城など今後の城は、どのような方向に向かうのだろうか。    


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