現代語訳『三州奇談』1. 「空声送人」

 暑い日が続いている。こんなときにはちょっと涼しくなれる話をー 


 加賀の『三州奇談』に「空声送人」という話があるが、これはチョットばかり怖い話である。 夏の夜のひとときのためにおおくりしよう。  


 篠原勘解由の与力に安藤庄太夫という者がいた。常に生き物を殺すのを好んだが、鵜飼や網・罠を好む人、があるなかで、彼は釣りだけを好んでした。 釣りをする時にはすべて無心になって、知っている吊りの吟を口ずさんで、犀川の上流の内川というところで、竿を友として一日中心行くまで楽しんだ。 日が西に傾く頃だったが、後ろの山手より自分の名前を呼ぶものがあった。返事をして辺りを見回したが、まったく人がいない。不審に思ったが暮れかかってきたので竿をかついで帰途についた。 

 しばらくして火葬場の辺りを通った時にははや日は暮れて、はっきりとは見えないが無常の煙が寒々とのぼり、絶えられないくらいの、とても嫌なにおいがした。その臭さのなかで、狼や犬がいつも墓を掘り、争う声が騒がしかった。おりしも小雨が降りだしたので、辺りには鬼火が燃えており、見るからに物凄く、ぞくぞくした。

 そんな時耳元に、大声で庄太夫と呼ぶ声があった。さては魔物の仕業ではないかと思い、黙り込んで無視して行き過ぎると、後ろから何度も何度も呼びかけてきた。小立野の篠原氏の下屋敷まで、虚空から、ほんの少しも呼び止むことがなかった。

 まさに家の中に入ろうとしたとき、突然空からの水を、ざぶっとかぶり、全身びしょ濡れになった。しかし家に入ってからは、なにも怪しいことはなかった。これを妖籟(妖怪のおこす音)というのだろうか。

 また應籟(応答する音)というのがある。生駒内膳の家士・三島半左衛門という者がいた。性格はかたくなで、癖が強かった。この男は中でも謡曲が好きで寝食を忘れるほどであった。また怪談・奇談が嫌いで、自分が話さないだけでなく、ほかにこれを語るものがあると、激しく言い負かした。もともと彼の弁舌は、ものごとを押し曲げ、道理のある正しいことを、あえて誤りとして論じることで、理をひん曲げるのだった。だから怪談を話すものは、いつからか彼を避けるようになった。

  ある日、半左衛門が夜更けに長町の坂井甚右衛門の辺りを通ったとき、いつものようにすきな謡を謡いだした。こころに浮かぶままに三井寺の曲舞を謡いだしたのだが、かたわらの武家屋敷の土壁の中から、半左衛門に添えて謡う声があった。怪しいと思って謡を松風にかえると、また相手も同様に変えてきた。いろいろやってみたが、次々と真似をしてきた。気のせいではなかった。長い道のりを、このように謡の声が付きまとってついて来た。生駒家の門内に入ると同時にそれは止んだ。

 その後、半左衛門もともに怪異を語るものとなった。これは半左衛門がよくも妖怪までもが、いろいろな謡をよくも覚えたものだと感心したからではなかろうかと、仲間たちは言い合ったものである。 


「空声送人」は謡が盛んな金沢らしい奇談である。「金沢は謡が空から降ってくる」という。妖怪好きからすれば、江戸時代にはまさしく謡を謡う妖怪がいたのであろうか。 


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