『三州奇談』、「空声送人」の現代語訳

『三州奇談』を読み解く際、始めにやるのが、語注と現代語訳、つぎにあらすじづくりだが

その過程の一部を紹介する。


「空声送人」『三州奇談』 訳

篠原勘解由の与力に安藤庄太夫という者がいた。常に生き物を殺すのを好んだが、鵜飼や網・罠のなかで、釣だけを面白いと思っていた。すべて無心に一釣竿と釣台を口ずさんで、犀川の上流の内川で竿を友として一日中心行くまで楽しんだ。日が西に傾く頃、後ろの山手より名前を呼ぶものがあった。返事をして辺りを見回したが、まったく人がいない。不審に思ったが暮れかかってきたので竿をかついで帰途に就いた。

しばらくして灰塚の辺りを通った時、はや日は暮れてはっきりとは見えないが、無常の煙が寒々とし、その臭さはいうまでもなく、狼や犬がいつも墓を掘り、争う声が騒がしい。とくに小雨が降りだしたので鬼火が辺りに燃えており、見るからに物凄く、ぞくぞくする。

そんな時、耳元で、大声で庄太郎と呼んだので、さては魔物の仕業ではと思い、黙り込んで行き過ぎると、後ろからまた何度も呼びかけてきた。小立野の篠原氏の下屋敷まで、虚空から、ほんの少しも呼び止むことがなかった。まさに家の中に入ろうとしたとき、空からの水を、ざぶっと受けた。驚いてみると全身びしょ濡れだった。家に入ってからは、なにも怪しいことはなかった。これを妖籟(自然の吹き起す音を天籟というが、妖怪のおこす音の意か)というのか。

また應籟(答える音)というのがある。生駒内膳の家士・三島半左衛門という者がいた。性格はかたくなで、癖が多かった。この男は中でも謡曲が好きで寝食を忘れるほどであった。また怪談・奇談が嫌いで、自分が話さないだけでなく、ほかにこれを語るものがあると、激しく言い負かした。もともと弁舌は、ものごとを押し曲げ、道理のある正しいことを、あえて誤りとして論じた。理を曲げるのだった。

そういうわけで怪談を話すものは、しまいに閉口して止めた。半左衛門が夜更けに長町の坂井甚右衛門の辺りを通ったとき、例の謡が好きだったので、心に浮かぶままに三井寺の曲舞を謡いだすと、かたわらの壁の中から、藩右衛門に添えて謡う。怪しく思って松風にかえると、また同様であった。いろいろやってみると、さっきと一緒だった。気のせいではなかった。長い道のりを、このように謡がついて来た。やっと生駒家の門内に入って、それは止んだ。

その後、半左衛門もともに怪異を語るものとなった。これは妖怪もよく謡を覚えたと感じたからではなかろうか。

ブログでは、謡が盛んな金沢らしい奇談である。「金沢は謡が空から降ってくる」というが、江戸時代には謡を謡う妖怪がいたのかも知れないと結んだ。


長町の土塀。これをつたって、妖怪は謡を謡った。

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