不動尊の請来と黄不動
不動尊は、日本にはほかの仏より遅れてきた仏である。
それが現在では、観音・地蔵と並ぶ信仰を集めている。
この不動尊が中国から請来されて間もないころを考えるものである。
「円珍感得の黄不動について」
金沢迷亭
1.不動明王の請来
不動明王は善無畏が725年に訳した『大日経』に無動尊の名で、不動尊としては709年『不空羂索神変真言経』に登場する。当初は大日如来の使者・従僕・童子と考えられた。のちに大日如来が教令輪身として変身した姿とされ忿怒相となり、従者として矜羯羅・制タ迦の二大童子が加えられ、五大明王の中心となった。日本には釈迦如来や観音菩薩に比べると遅れてやってきた仏であった。
不動明王像はインドや中国(唐の武宗による仏教弾圧)において現存する作例は少なく、日本独自の発展をなした。日本には9世紀初頭に空海が始めて唐より請来し、続いて円珍がそれより古いものをもたらしたが、いずれも両眼開眼で上牙下唇を噛んでいる。9世紀後半には東密の淳祐や台密の安然により十九相観が整備され、左目をすがめにするなど不動の基本的イメージをつくりあげた。青蓮院の「青不動」はこの形式である。
これとは別に円珍の「黄不動」や相応などの感得像が伝わるなど、感得による不動もみられる。ここには水・滝・異界などとのつながりにおいて修験道との関係が認められる。また感得像は正統的な聖なるイメージとのずれを生むことにより、不動像にダイナミズムを注ぎ込んだ。密教は儀軌に厳しいとされるが、不動明王は多様な姿をみせている。
不動明王と宗教儀礼をみると、平安時代においてはじめは後七日御修法など国家鎮護を目的とするものであったが、のち藤原家の厚い保護もあって次第に個人的な息災・増益法に重きがおかれるようになった。さらに五壇法のような規模を競うものや「調伏法」・「敬愛法」などの修法もなされていた。
難波の「水掛不動」にみるように、不動は人びとに親しまれた。関東では成田山新勝寺を中心に不動信仰が多くみられる。江戸から近いという地の利もあり、参詣講・出開帳による効果や歌舞伎の団十郎の後援を得たことによる。
忿怒相の不動明王が人びとの支持を集めたのは、如来が中性、観音が女性のイメージであったところに、歌舞伎や山伏・関東の武家を背景にして不動が男性のイメージでその性の空白を埋め、役割分担がなされたことによる。日本に他の仏に遅れてやってきた不動が貴族に続いて民衆の支持を集めた理由のひとつには、性の空白を埋める意味あいもあった。
2.円珍感得の黄不動像
儀軌に厳しく形式を遵守した密教のなかで、不動像のみは多様な姿をあらわしており、身体の色はその特色のひとつである。この視点から三井寺の「黄不動」をとりあげ、感得と色について考えたい。
空海により大師様が請来された頃、修行中の円珍は不動像を感得した。三善清行によるとその不動は異様な「金人」であった。円珍は相手が何人か分からず問答のなかで不動であると認識した。
入唐前の円珍はすでに不動の存在を知り信仰していたとされるが、その頃日本には不動がもたらされたばかりであり、形式についてはいまだ細部まで規定される状況ではなかった。円珍は形よりも仏本来の金色相を、色そのものとして感得したのではなかろうか。
ここでは「金人」の黄色を真っ先に確認したことが感得の核心であったと考える。これは伝来された仏像を初めてみた人たちが「金色のひと形」と捉えたことを想起させる。
黄不動における金色の感得はのちの「船中湧現観音」や「黄金剛童子」とともに、円珍や三井寺の色として伝えられている。顕色は大日如来のなんらかの面を象徴するものであるが(松長有慶氏)、「寺院や高僧」と「色」の関係を、円珍の例などをとりあげ考えてみる方法があるように思う。
不動の肉身の色により「黄不動」のほか、青蓮院の「青不動」、明王院の「赤不動」がある。「青不動」(11世紀)は玄朝様の十九相観によるものであるが、「赤不動」には円珍が葛川で修行中に感得したといういい伝えがある。これを裏付ける史料(説話)はないが、少なくとも2世紀を隔ててふたたび円珍の名があらわれることから、先の黄不動の感得が、種々の感得のなかの画期であったことをうかがわせる。「赤不動」ではその色に加え、二童子が共に向かって右側に立つという構図も変わっており、標準とのずれの面からも円珍感得がもちだされたのかもしれない。不動明王の肉身を本来の青黒色とは違って、黄色・赤色で画くことは創造的な試みである。
密教では唯一、不動明王にのみ多様な表現があらわれている。その理由のひとつは、円珍の黄不動感得像の出現であったと考える。三井寺の黄不動はさまざまな不動像が現れるきっかけをつくった作品として位置づけをしたい。
参考文献
有賀祥隆「密教の諸尊」『図説日本の仏教 二 密教』新潮社1988
速水侑『観音・地蔵・不動』講談社1996
森雅秀『仏のイメージを読む』大法輪閣2006
渡辺照宏『不動明王』朝日新聞社1975
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