和辻哲郎の『古寺巡礼』

和辻哲郎の『古寺巡礼』は、高校時代に読んで以来読み返している。
それは仏像について書かれているところに共鳴を覚えたからである。
ところが、建築学の授業で法隆寺をとりあげた際、あらためて読むと
建築について言及した所が多いのに、驚いた。

これは和辻と建築について考えたものである。


 『古寺巡礼』―法隆寺西院回廊で和辻哲郎は何を感じたか

金沢迷亭

1.本論の目的 (和辻の感覚はどこからきたか、見る角度を探す和辻)

和辻哲郎の『古寺巡礼』は大正8年に出版されて以来、時代をこえて広範囲の読者に読み継がれている。今回、古建築の演習を履修したのに伴い、『古寺巡礼』を読み返した。これまでは仏像に関する記述が中心であると思っていたが、建築に関しても、多く費やされていることに思いいたった。

和辻の博学は仏教の分野のみならず、東西文化の交流にまで及んでおり、中でも「法隆寺のエンタシス」の記述が記憶に残っている。再読してみると木下杢太郎あてに書かれている「法隆寺・中門内の印象 」が心に残り、和辻が法隆寺にこだわっていたさまが伝わってきた。「法隆寺・中門内」で和辻は琴線に触れる特殊な感覚にとらわれたのであるが、この感性は何に刺激され、どこからきたのか、和辻の分析を交えつつ、建築学の面から「聖なる回廊の内側」を考えてみたい。

2.法隆寺回廊で和辻がみたもの (構造的特徴―回廊・柱数、伽藍配置)

和辻が木下あてに記したのは、「法隆寺中門の内側に入って、金堂と塔と歩廊を一目に眺めた瞬間、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものを感じた」ということである。和辻に神秘的なショックをあたえたものは、なんであろうか。当時の和辻を取り巻いていた環境や個人の感性を別にすれば、この感覚は、中門を入ったところで目にした複数の建築物がかもしだした情景・雰囲気が、そのようにさせたと考えるべきであろう。

ここで和辻が目にした建築物は何であろうか。それは法隆寺西院伽藍に建つ、飛鳥様式による金堂、五重塔、中門、そしてそれらをぐるりと取り巻き、聖なる空間を仕切っている回廊である(回廊は、経蔵、鐘楼に接続し、講堂にもつながるが)。そこには、目でわかる膨らみをもつ胴張の太い柱(エンタシスの列柱)、雲斗・雲肘木など雲形の組物、高欄の卍崩しの組子と人形の束など法隆寺独自の様式が建ち並び、奈良時代以降の寺院とは異なる、異国的な雰囲気が漂っている。和辻は、こうした建築上の要素のほとんどを指摘したうえで、建物の古びた朱の色と無数の連子が並列したさまがサアァッという響きのようなものに関係していると述べている。

建築物は奈良時代の唐招提寺金堂などに比べるとかなり小ぶりで、五重塔は、五重の平面は初重の半分(東寺塔は7割) と安定感があり、建物が身近に凝縮された感がある。和辻は塔好きであり、五重塔を中門の壇上、金堂の壇上、講堂前の石灯籠の傍らなどを歩いて、「この塔がいかに美しく動く」かを「頸が痛くなるほど仰向いたまま」観察し、五重塔の動的な美の根源は軒の出の大きさにあることを発見する。『古寺巡礼』で和辻は情熱的な目で仏像を語った印象が強いが、こうしてみると、建築物についても同様に深い興味を示していることがわかる。

3.和辻の感覚を考える(聖なる領域、ギリシア、柱数の微妙な影響)

法隆寺西院伽藍、つまり回廊内で和辻がみたもの、感じたことをみてきた。「サアァッという響き」のようなものがどこからくるかについては、和辻自らが法隆寺のみがもつ建築上の様式などを取りあげ分析しているが、その要因をなすものをほかに考えてみたい。

その前段として、まず古代寺院の回廊内の建築物の配置をみておきたい。古代寺院の伽藍配置であるが飛鳥寺や四天王寺は、回廊内に塔を二つの金堂の間や前に置いて重視した左右対称形である。これに対し法隆寺や川原寺は塔と金堂を中門からみて左右に配置する左右非対称となっている。初期に塔を重んじたのは、ストゥーパの流れをくんで舎利にかかわる塔を上位に置いていたが、のちに仏像がそれにとってかわり本尊をまつる金堂が重要視されたためとされている。その後、中門の正面に金堂を置き、その前方の左右に塔を配置した薬師寺、さらに二つの塔が回廊の外に置かれるようになった東大寺様式に変化していき、塔に変り金堂上位が徹底したとの見方がある。これは時系列でみれば妥当な見解と考えるが、塔が回廊内ではなくその外に配置されるようになった段階が、仏教の変遷における伽藍配置の画期であったのではないかと筆者は考える。これに関して西院回廊は当初、塔と金堂のみを囲いこんでいたが、平安時代中期に講堂、経蔵、鐘楼をつなぐ形に変更されている。この理由はなぜかを研究すれば、回廊の内と外についての理解に新しい局面が見いだされるように思う。また伽藍の左右非対称は、対称を基本とする中国風に対して日本風の表現とする見方があるが、これも同一回廊内のことである。伽藍配置を考える際に、塔と金堂の位置関係を考察すると同時に、聖なる空間を切りとる回廊の存在により目を向けることが必要ではないかと考える。

さて日常とは異なる空間に入ったとき、ある特別な感覚にとらえられるのは、そこに日常とのズレが生じることから起きる、一種のめまいのような感情を感得するからであろう。法隆寺における異空間、聖なる領域は回廊が切りとっている。ズレを演出する役目をはたすのは回廊であり、金堂と塔は主役をつとめる。

ズレの第一は法隆寺の伽藍配置にある。法隆寺の伽藍は金堂と五重塔が左右に並んだ非対称の形である。そのため回廊内において、大きさ・高さの違う金堂と塔のバランスをとるための工夫がなされている。塔側の回廊は金堂側に比べ一間短くなっており、金堂と塔の中心も回廊一間分だけ北に寄せ、金堂前をそれだけ広くしている 。金堂と塔を左右にバランスよく配置するため、伽藍内の寸法が綿密に検討されていた形跡から、当時の技術が想像以上の高さにあったことがうかがえる。現地で具体的にこのような工夫に気づくことはないと思うが、こうした寸法の違いは伽藍を歩くものの感覚に、知らず知らずの内に微妙なズレを生むこととなる。

ズレを生む第二として、コンパクトに濃縮された密度の濃い伽藍構成を取りあげる。先に述べたように奈良時代の寺院建築に比し、法隆寺の回廊内の金堂や塔は小ぶりであり、人々はごく身近に、すっぽりと聖なる空間に包みこまれることとなる。さらに、東大寺や興福寺などとは全く異なり、ほかではみられない六朝時代の雰囲気がここには漂っているのである。たとえば、黄檗宗・万福寺に行って中国を感じとるように、法隆寺からは古代の異国を感じとることになる。具体的には、胴張の太い柱、雲斗・雲肘木など雲形の組物、高欄の卍崩しの組子と人形の束などであり、建物の古びた朱の色である。これらが人々の感性を刺激する。

4.ポイントは回廊の連子

「人々の感性を刺激するズレはなぜ生ずるか」、和辻の体験をもとに法隆寺西院伽藍に立ちこの感覚を考えてきたが、今一度回廊の存在に目を向けたい。

西院回廊は梁行一間の単廊であり、外側は連子窓、内側には胴張りの列柱が並び、化粧屋根裏天井は虹梁と虹梁上の叉首の効果により高く明快な印象を受ける。太田博太郎氏によると、法隆寺西院の連子窓は大きく連子子の間のあきもかなりあって、簾をかけたような明快な感じがあると指摘する 。回廊の外周は壁が少なく、縦格子の連子が連続している。このように連子窓は聖と俗をゆるやかに分ける効果をあたえている。塀のように外界を断ち切る機能を保ちつつ、同時に広めの連子子の間から現実の世界の光を取り込み、聖俗を仕切りつつやわらかに内外をつないでいる。回廊内部に落ちる連子の直線的な影は、ズレの感覚を生みだす役割りを果たしている。これについて和辻は以下のように記す。「金堂のまわりにも塔のまわりにもまた歩廊ぜんたいにも、古び黒ずんだ菱角の櫺子は、整然とした並行直線の姿で、無数に並列しています。歩廊の櫺子窓からは、外の光や樹木の緑が、透かして見えています」。実際、この無数の直線の影にプロ・アマを問わずカメラをむける人は多い。和辻はこれをカメラなしで直接脳裡に焼きつけ、そこで感受性を刺激されたのであろう。

5.まとめ

和辻が『古寺巡礼』を出版したのは大正8年、30歳のときで、その前年に奈良付近を旅した時の印象記である。旅に先立ち和辻は兵庫の実家を訪ね、進路について家族と話すなど、精神的に揺らいでいた時期である。和辻が西院伽藍で受けたショックには多分にそうした背景があると考える。しかしその背景には述べてきたような法隆寺建築が秘めている装置というべきものが存在していたことは間違いない。建築学までを内包する博学が文学的表現をとって記録されたものといえる。

法隆寺西院回廊については、やはりエンタシス(胴張り)について加えねばならない。このギリシア建築との関係、和辻を刺激するものであり、和辻は随所で西方の芸術的精神を説いている。当時、知識層は西欧からみた文明、ギリシアを中心とした文明観が底流にあり、ギリシア的なものがすなわち高度な芸術作品であった。和辻は法隆寺のエンタシスを、唐招提寺の金堂を、精神において実にギリシア的と力説する。法隆寺のエンタシスは筆者にとって真っ先に見るべきものであり、多くの人もそうだったであろう。当時「エンタシス」を喧伝した一人である和辻は、回廊列柱にもっとも反応し精神を揺さぶられたとも考えたい。


参考文献

和辻哲郎『古寺巡礼』岩波書店1991

太田博太郎『奈良の寺々』岩波書店1982

太田博太郎監修・西和夫『図解古建築入門』彰国社1990

太田博太郎・藤井恵介監修『増補新版日本建築様式史』美術出版社2010

工藤圭章・渡辺義雄『古寺建築入門』岩波書店1984

日本建築学会編『日本建築史図集』彰国社2010

濱島正士監修『文化財探訪クラブ③寺院建築』山川出版社2000

村田健一『伝統木造建築を読み解く』学芸出版社2006

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